ころりとジュリさんの手の上に無造作に転がったのは、透明な石でした。そこらに落ちている小石ぐらいの大きさです。
「とっても綺麗じゃない?」
うっとりとした声を出しながら、ジュリさんは溜息をつきました。
ジュリさんが吐き出した二酸化炭素が空気に触れて溶け込むぐらいの間、私はひゅっと息を呑んでその小石を見つめていました。
不思議な石です。
道端の小石たちと一緒にうずくまっていたとしても、決して私の視界の中に入ってくることはないでしょうけれど、
こうしてよくよく見つめて見ると、どうして他の小石たちの間にいたことが分からなかったのかと思うくらい、
他の小石たちとは違う雰囲気を持っています。それは、とても言葉では言い表せないものでした。
私がジュリさんの仕事場に遊びにきたのは、ついさっきのことです。
お互いの仕事の話をして、やれあれが大変だ、これはやりがいがあっておもしろい、などと離しているうちに、
ジュリさんが「そういえば、とってもいいものがあるのよ。」とまるで少女のように軽やかに言うと、
仕事場の一番奥から小さな袋を持って戻ってきたのです。それが、この水晶が入っている袋でした。
ジュリさんが私に向かって小石が乗った右手を差し出したので、そろそろと私はその透き通った小石に触れてみました。
小石はそっけない冷たさで、私の指の先でざらりと震えました。
「これは、特別な水晶なのよ。」
ふふんと、得意そうにいったジュリさんの言葉が耳の中で溶け込むまで、
ずっと私は、特別な水晶と呼ばれた小石を指の先で転がしていました。
水晶は、なかなか私の人差し指と親指の間から離れませんでした。
いえ、離そうと思えば力を込めることなく簡単に、私は水晶から指を離すことができたでしょう。
けれど、まるでそこから不思議なパワーが流れ込んで、私の中を満たしてくれているように思えて、
私は水晶から指を離すという行為をすることが恐ろしくさえ思いました。まるで、よりどころをなくした雛鳥のように。
「ふふ、いつまで触っているの?そんなに気に入ったのかしら。」
ジュリさんが嬉しそうに頬を緩ませて言いました。
私は、ジュリさんの嬉しそうな表情を見ていると少しだけ不安になりました。
私が水晶を持っているのはただ、この指に張り付いて離せないからです。
水晶の内に秘めているパワーに、指先が吸いついてしまっているからなのです。
「不思議な水晶ですね。」
自分の声が震えていないか確かめながら、私はそっと溜息をつくように言いました。
「そうよ。あなたにも分かる?」
「ええ、なんとなくですけど。」
私の反応にジュリさんは満足そうに微笑みました。
「これはね、青い鳥の心臓の中にあるのよ。」
「心臓?」
「ええ、そうよ。身体の中で一番重要で、ポンプの役割をしている、あの心臓の中にね。」
「どうしてそんなところにあるんですか?」
「さあね、どうしてかしら。でもきっと、心臓の役目に一役買っているに違いないわ。」
私は、この水晶が青い鳥の心臓の中でうずくまっている姿を想像しました。
とくとくと小さな心臓の中で、なにか重要な役目を負っている透明な水晶。
それはどこか神秘的で、ひどく美しいもののように思えました。
「でも、青い鳥の心臓の中にあるのに、どうやって取り出すんでしょう。」
「取り出すんじゃなくて拾うのよ。
心臓の中から取り出すなんて、そんな残酷なことできるわけないでしょ。幸せを運ぶ鳥に対して。」
幸せという言葉をジュリさんはとりわけ強調して言いました。
人差し指を立てて、私に説明するために、リップクリームを綺麗に塗った唇を震わせようとしています。
いつの間にか私は、つやりと光る赤色のジュリさんの唇を吸い込まれるように見つめていました。
「青い鳥の身体が腐って土に返ってしまったときにね、この水晶は初めて外の空気に触れるの。
それを、運よく見つけて拾ってきたのがこれなのよ。」
まるで内緒話のように、ジュリさんは小さな声で言いました。それは私だけに届く声でした。
「青い鳥はね、死ぬときはひっそりと一人で死ぬのよ。幸せを運ぶ鳥だから。自分の死を誰にも見られないように、隠れて死ぬの。
だから、この水晶もその隠れた場所にあるものだから、探すのは本当に大変なのよ。」
私はジュリさんの話に、末恐ろしい気持ちが胸の辺りでじわりと浮かんでしまいました。
私の指先の中で、力強い生命の強さがじわじわと伝わってきているからです。
これはきっと、青い鳥の命の強さなのでしょう。
私は漠然と、この水晶の色は、本当はこんなにも透明に透き通ってはいなかったのではないかとふいに疑いました。
青い鳥の力強さ。命の尊さ。
それらがすべて凝縮しているように感じるこの水晶の持つ不思議さは、きっと透明色で片付けてはいけないと思ったのです。
赤色の心臓の中で育ったこの水晶は、本当は何色をしていたのでしょうか。
私には、空気に触れて初めて色を失い、
今この手の中にある水のように透明な色になった気がしてなりませんでした。
「ねえ、これ。あなたにあげるわ。」
突然の言葉に、私は一瞬ジュリさんがなんて言ったのか分かりませんでした。
驚いて何度か瞬きを繰り返す私に、ジュリさんはふふっと笑いました。
それは、意地悪を思いついた子供のような笑い方でした。
それでいてジュリさんはいつも、女性らしいなにかを身につけているように思います。
その中には、男性らしさも含まれているのですから、私は、ジュリさんがこの水晶のように不思議な人に思えて仕方ないときがあります。
現に、今がそうです。さっきまで自慢げに水晶について語っていたジュリさんが、突然私にこれをくれるというのですから。
私は、エイプリールフールの日に騙されまいと思う子供のように、疑わしい目をジュリさんに向けました。
「やだあ、なあに?嘘じゃないわよ。だってほら、この水晶。とってもあなたに似合っているんだもの。」
「私に?」
「ええ、そうよ。あなたみたいだわ。青い鳥の心臓の中でただうずくまっていたこの水晶が。」
「どうしてですか?」
「これ以上は教えてあげない。だってほら、秘密があるほうがおもしろいでしょ?」
私は、ジュリさんの言葉に口をつぐんでしまいました。
そんな私の手に、半場押し付けるようにジュリさんは袋に入れた水晶を握らせました。
「ね、あの風習のこと知ってる?」
「風習?」
「青い鳥の羽の風習よ。」
「あ、ええハーバルさんから教えてもらいました。」
ジュリさんは私の言葉ににっこりと微笑みました。リップクリームを塗った唇が柔らかく光りました。
「よかったわ。秘密を明かすときに、肩透かしを食らわないですむもの。」
「?」
「今度、秘密を教えてあげるって言っているのよ。」
「ほんとですか?」
「ええ、でも今じゃなくて今度ね。楽しみにしててね。」
私は小さく頷くと、ジュリさんに背中を押されるまま、ジュリさんの仕事場を後にしました。
外に出ると生暖かい風が私の頬に吹きつけました。つられて髪の毛がばさばさと空を踊りました。
私は、もう一度だけこの水晶を見ようと思って、小さな袋の中から水晶を取り出しました。
やはり水晶は何色にも染まらず、ただただ瑞々しく、そして精錬され、どこまでも美しくありました。
私は、ジュリさんがなぜその鳥の心臓の中から出てくるこの水晶を私に預けてくれた理由を考えようとして、途中でやめました。
青い鳥はこの島では特別な鳥です。
私の住んでいた地域にはなかったことだったので、私は少しこの風習について鈍感になってしまいがちなのですが、
それでも、その風習の持つ意味に、いくらかのロマンを感じずにはいられませんでした。
初めてこの島を訪れていたときから、
どこかよそよそしい気持ちになっていた私が、やっとこの島の住人になれたように感じました。
それとともに、私は今ここでこの島にある風習の中に取り組まれたような気がしました。
水晶はその証に、ジュリさんが私に手渡してくれたのではないのでしょうか。
だからこそ、ジュリさんが私に預けてくれたこの水晶を、大切に大切に持っておこうと思うのです。
私は、ふっとその水晶に息を吹きかけてみました。
生暖かい私の吐く息が、水晶を持っている指先をくすぐります。それでも、水晶にはなんの変化もありません。
私は小さく微笑むと、再び水晶を小さな袋の中に大切にしまって、それをポケットにすべりこませました。
袋は音もなくポケットの中に納まりました。
ただ袋の中からかすかに、青い鳥の心臓の音が聞こえたような気がしました。
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